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長崎 一日目 グラバー邸、オルト邸 [旅日記]

 さて、いよいよ長崎一日目です。

 この日は萩を早朝出発して、長崎には午後到着しました。

 天気予報によると、長崎は次の日から雨の予報だったので、それではまず外回り中心のグラバー邸に行かねば!ということで、この日は南山手の洋館、グラバー園周辺を回ることにしました。


 市電に乗って坂を歩いて、まずは大浦天主堂へ。

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 懐かしい! 高校の修学旅行の時以来です。 この日も修学旅行シーズンで子供たちがぞろぞろ列をなして階段付近をたむろしていました。

 大浦天主堂は現存する日本最古の教会堂だそうで、完成したのは1864年。ちょうど幕末動乱の時代ですね。

 『龍馬伝』では、お元がこっそり信者の集会に出る前にほんの一瞬だけ背景に登場しましたが、なるほど、建てられた時期がちょうど龍馬が長崎を初めて訪れた頃と重っていたのですね。

 そう言えば、第三部の初回の冒頭で龍馬たちがおのぼりさんのように坂道を登っていくとき、教会の鐘の音が聞こえていました。 もしかしたら、あれも大浦天主堂の鐘の音だったのでしょうか?

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 正面のマリア像です。

 教会内部も見学しました。 祭壇やステンドグラス、回廊にキリスト像、懺悔室など・・・荘厳な空気に満ちた空間にいると、信者でもないのに自然と敬虔な気持ちになりました。

 教会を出て、近くのグラバー園を目指しました。

 エスカレーターに乗って高台に上がって、一番眺めのいい旧三菱第二ドッグハウス、それから少し下ったところにある旧ウォーカー邸旧リンガー邸などを見て回りました。
 
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 旧オルト邸です。 『龍馬伝』でもグラバーの友人として登場していたオルトですが、この邸宅はグラバー邸の本当にご近所に建てられていて、当時の二人の交流ぶりがうかがえます。

 堂々とした石造りの邸宅は、長崎現存の洋館のなかでは一番大きいものだそうです。 内部も見学しましたが、天井が高く、明らかに他の邸と違いました。

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 イギリスから連れてきた新婚の妻のためにつくられたというこの館。 前庭には当時植えられたと言う木香バラの姿を今も見ることが出来ます。

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 色合いが明るくて素敵な食堂です。 

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 展示されていたなかでもこれは・・・!と思った和風ドールハウスです。 

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 本当に精巧に出来ていて思わずほしい!と思ってしまいました☆ オルトが自分の子供のために職人に作らせたのでしょうか? 彼は優しい旦那様というだけでなく、優しいパパでもあったのですね。

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 書斎です。 落ち着いた雰囲気の感じのいい部屋です。

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 応接室です。 壁紙や調度品が素敵ですね~☆

 どの部屋も英国風と言った感じがして、ここが日本と言うことを忘れてしまいます。  


 一旦外に出て、近所にあるというフリーメイソン・ロッジの門を探しに行きました。

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 うろうろしながらなんとか発見! 門柱の上部に確かにそれらしい印が見えました☆ グラバーがフリーメイソンだったということについては興味があるので、ぜひまた関連の本を読んでみたいです。

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 再びオルト邸に戻り庭をぐるりと散策すると、紅い薔薇が少し咲いていました。

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 その手前には、丹念に手入れされた花壇も。 

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 そして、庭の石段で身づくろいする猫も発見☆ 長崎で出会った猫第一号です(笑)

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 裏庭には、離れの調理室や使用人部屋、そして天然の崖をくりぬいて作った貯蔵庫がありました。

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 先ほどの花壇と逆方向の前庭の片隅に、小さな日本風の庭園までつくられていました。

 とにかく愛のこもった美しい邸と手入れの行き届いた庭園で、オルト家の人々が素晴らしい暮らしをしていた当時の様子がうかがえました。 オルトが家族とここに住んだのは4年間だけでしたが、後にイギリスに帰った彼の娘さんは、長崎での生活を思い出しては「あれ以上美しいところは思い出せない」と語ったと言うのもうなずけます。

 旧オルト邸を出た後、旧スチール記念学校にも立ち寄りました。

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 展示されていたグラバーと家族の写真です。

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 こちらは珍しいグラバーが釣りを楽しんでいる写真です。 

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 『グラバー図鑑』の魚の絵です。 この他グラバーゆかりの写真が何枚か展示されていました。 


 さて、いよいよグラバー邸に到着です! 特徴的な瓦屋根が見えてきました☆
 
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 ここも大浦天主堂と同じで高校の修学旅行以来の懐かしい場所です☆

 グラバー邸は日本最古の木造洋風建築。 言い伝えによると日本の民家3軒を取り壊してその資材を使って建てられたそうです。 このエピソードを聞いたとき、なんてグラバーらしいエコ(別名ケチという)なんでしょ☆と思ってしまいました(笑) 思わず、「私は無駄なことは絶対にしない!」なんて言っている彼の顔を思い浮かべたりして・・・もちろんそれはティム・ウィラート の顔だったりするのですが(笑)

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 回廊の天井を見ても、何だか不思議でエキゾチック・・・現地の建築法を取り入れたコロニアル様式というのだそうで、なるほど和洋折衷の洋館で、オルト邸とは全然趣が違います☆

 と言うわけで、内部にも潜入。

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 客用寝室です。 グラバー邸は幕末期にはゲストハウスとして使われていたので、この部屋はよく活用されたのでしょうね。

 他にいろいろな部屋があったのですが、後ほど紹介するとして、まずは隠し部屋です!

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 奥さんのツルさんの部屋の廊下の天井にそれはありました☆

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 う~ん、内側は暗くてよく見えないですが、鏡が置かれていて少しだけ屋根裏部屋の様子をうかがうことが出来ました。

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 ここに高杉がひっそりと隠れ住んでいたのですね~ ドラマでここから顔を覗かせた高杉の無邪気な顔を思い出してじ~んとしたりして・・・ 

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 部屋がふたつもあったんですね~結構広いのですね☆

 ふと、上ってきた龍馬が気に入って「わしもここに住みたいがじゃ☆高杉さんの隣りに♪」なんて言い出して居座ってしまったらグラバーは大変☆・・・なんていう楽しい妄想も沸いてきました(笑) 

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 この説明の写真のように、はしごがかかっていれば・・・!と思うのですが、内部が直接見られないのは本当に残念です~

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 で、後先になってしまいましたが、グラバーの妻ツルの部屋です。

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 婦人の部屋の近くには、植物好きのグラバーが明治になってからつくった温室があって、現在もよく手入れされた色とりどりの花が目を楽しませています。

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 温室の番人として、麒麟ビールのマークの元になったという二頭の獅子が置かれていました。

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 応接室です。 ここは、グラバーが龍馬や小曾根さんや大浦慶とマージャンをしていたところでしょうか?

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 こちらは大食堂です。 ここは明治時代に邸を大改築したとき増設されたところだそうです。

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 大食堂には、釣りを好んだというグラバーの釣り道具も置かれていました。

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 高島炭鉱との連絡線の出航時に使われたドラです。 邸では食事の合図に鳴らされていたそうです。 何だか豪快(笑)

 日が完全に暮れないうちに、また庭を見学しました。

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 庭に大きくそびえるソテツの樹は、樹齢300年にもなる日本最古のソテツで、グラバーが武器購入を助けたお礼に薩摩藩主から譲り受けたと言われています。 

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 庭には、グラバーの胸像も飾られていました。

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 庭園からは長崎の港が一望できます。 海の上を客船や帆船も走っていました。

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 少し方向を転じると三菱造船所のドックが見えます。 三菱と言えば、弥太郎の会社ですね・・・ ここからの景色を見ていると、幕末から明治にかけての時代を俯瞰しているような気持ちになりました。


 もう一度邸の周りをぐるりと回ってじっくりと邸の外観を眺めました。

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 日が暮れ始めて、明かりのともった邸を見ていると、高杉が血を吐いた場面を思い出しました。 今にもあの戸口から彼が出てきそうな気がして、目の前の光景を繰り返し繰り返しいつまでも見つめていました。

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 じっくり居座っていたら、いつの間にか園内は夕闇に包まれ始めたので急いで坂を下って外に出ました。

 この日は実は、前の晩眠れず早朝から動き回っていたのでへとへとに疲れましたが、高杉やグラバーなど当時の異国の商人の息吹を感じることができたような気がして、心は静かにざわめいていました。

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 前回以上にのびのび長~い日記に付き合っていただきありがとうございました!

 今回はなんたってグラバー邸だから、ということでどうかお許しくださいね(笑)

 やっと終わりが近くなってきたのですが、二日目はやっと龍馬関連のスポットということで、亀山社中記念館崇福寺花月などを訪ねます。 またお気が向いたらお付き合いください♪
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萩 二日目午後 城跡、明倫館、猫 [旅日記]

 さて、萩二日目の午後です。

 午後は、萩城跡、それから藩校明倫館を見て回るのが主な日程でしたが、 城跡に行く前に、萩博物館を訪ねました。

 萩博物館では、萩の歴史コーナー、特別展の幕末明治の風景と人物写真、それからお目当ての高杉晋作資料室を見ました。 高杉資料室には、高杉の手紙、イギリスと交渉したときの直垂等、高杉ゆかりの品々が展示されていましたが、残念ながら、写真撮影は禁止でした。

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 一階に展示されていた松陰先生の銅像です。

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 萩のどこに行っても松陰先生の姿が見られますね。


 さて、博物館を出て萩城跡を目指して歩きました。
 
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 永代家老の旧福原家萩屋敷門です。 堂々とした門構えは、高杉の家や木戸さんの生家とは桁違いの大きさです。 

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 天樹院墓所毛利輝元像です。

 やっと萩城跡にたどり着きました。

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 左奥に見えるのが天守閣跡です。

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 背景には指月山がゆったりとした姿でそびえていました。

 天守閣跡に上った後、園内を散策したりしていると、「猫を捨てないでください」という立看板をあちこちで見かけました。「ようするに捨て猫が沢山いるということだよね」と話していたら、案の定、また猫と出会いました☆

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 近づいてものんびりと身づくろいをしていたおっとりさんです。

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 のびのび~っと☆ エサをもらっているせいか、本当に人慣れしている子でした。

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 今度は奥の神社の階段を下りる途中でもまたばったり☆

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 何に耳をそばだてているのでしょうか? ちょっと野性味の感じられる子でした。


 城跡を離れてまた再び城下町に向けて歩きました。

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 指月小橋から岬のほうを望むと、遥か向こうに日本海が顔を覗かせていました。  

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 またまた猫と遭遇。 本当に萩は猫の町ですね~☆

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 城下町に入る少し前、堀内地区で旧周布家長屋門を見学しました。

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 江戸中期の典型的な武家屋敷だそうで、横に長々と伸びた建物全体と出格子と呼ばれる窓の面白い造りに見入ってしまいました。

 また道すがら、猫と出会いました。 今度は親子連れ。

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 子猫はすぐに奥に引っ込んでしまって、残った親猫とにらめっこ☆


 明倫館に向かう途中、市民公園で山県有朋の銅像を発見しました。

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 颯爽と馬に乗る姿がカッコいい! 奇兵隊時代ではなく、明治期の陸軍大臣の時代ですね。

 ようやく萩藩校明倫館に到着。 これが、少年時代の高杉が通った、そして松蔭先生が講義したあの明倫館なのですね! 

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 東南に位置する観徳門です。

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 ここは、実際に現在も萩市立明倫館小学校として子供たちが通っているので、職員の方にお願いして中を見せていただくことにしました。

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 校舎内には入れませんでしたが、入り口部分だけ電灯をつけてもらって松陰先生の坐像を見せていただきました。 松陰先生に見守られて勉学に励めるなんて、素敵ですね☆

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 校舎前の石造りの亀の上に載った石碑です。 向かって左側は、1741年明倫館創時に建てられた元文碑、 右側は1849年毛利敬親が開校を記念して建てさせた重建明倫館碑です。

 「明倫」とは、孟子の一節からとった言葉で、「学校は、人間の道(人倫)を明らかにするところである」という意味があるそうです。 長州藩が教育熱心だったことがひしひしと伝わってきますね。

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 こちらは、正門の南門。 表御門と言われるだけあって、堂々とした構えです。

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 内側から見ると、明倫館という文字が見えました。

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 水練池です。 深さは1.5mで藩校時代は水泳や水中騎馬が行われたり、防火用水としても使われたそうです。 ここで、少年時代の高杉が裸になって泳いでいたんだな~・・・と、ちょっとイケナイ妄想を頭に浮かべたりもしました(笑)

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 校舎裏には、松陰先生が講義したとつたえられている松陰先生講学の跡の記念碑もありました。

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 最後には、さらにぐるっと回って出発点の観徳門の近くまで戻り、剣槍道場の有備館を見ました。 ここで、少年時代の高杉が稽古着に着替えて爽やかな汗を流して稽古に励んでいたんだな~・・・と、また楽しい妄想が浮かんできました(笑)

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 実際使われている小学校の校舎自体も昭和10年に建てられたものだそうで、昔懐かしい雰囲気をたっぷりと味わいました。 歴史的遺構と共に日々の生活を営む・・・なんて素晴らしい環境! 萩ならではの素敵なスポットを目のあたりして大満足でした♪

 それから、この日最後目的地久坂玄瑞の旧宅跡を訪れました。

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 秋の日はつるべ落としで、周囲はすでに暗くなっていたので、ぼんやりとしか確認できませんでしたが、なんとか石碑を見つけることが出来ました。

 そして帰路、最後の最後になってやっと左回りの巡回バス「晋作くん」に乗ることが出来ました☆

 でも、何故かバスは駅前まで行かず・・・ここが終点と言われて途中の停留所の市役所前で降ろされてしまいました。 その後、駅前まで延々歩く羽目に・・・ やっぱり、バスの中で「晋作くんに乗れた~♪」などとはしゃいだのがいけなかったのでしょうか?(笑) 

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 長々と続く旅の思い出にお付き合いいただきありがとうございました☆

 さていよいよ次回は長崎です☆ 最初の日は大浦天主堂グラバー邸オルト邸など、異国情緒あふれる地区を訪ねました。

 また長いレポートになりそうですが、お付き合いいただけると幸いです♪ 
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萩 二日目午前 高杉晋作の旧宅 [旅日記]

 さて、萩の二日目。

 二日目は城下町周辺を朝から晩までみっちり歩きましたのでさらに写真が膨大になり、やむなく記事は午前と午後の二つに分けることにしました。 旅の思い出日記、前回以上に長くなりますが、よかったらお付き合いください♪

 午前の日程はと言うと、野山獄岩倉獄から出発して、高杉晋作の旧宅木戸孝允の旧宅を中心として、他2,3の邸宅を訪ねました。 

 まずは、駅から歩いてもすぐのところの野山獄岩倉獄へ。

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 野山獄です。 現在残っているのは、ほんの入り口部分だけで、幕末当時はもっと奥まで牢屋が続いていたそうです。

 ここに松陰先生、そして時を置いて弟子の高杉も捕らえられていたのですね。 当時の牢獄や罪人が処刑された時の様子を想像すると、どことなく陰惨な雰囲気がただよっているような気がして背筋が少しぞくりとしました。

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 野山獄と道路を隔てて向かい合わせの岩倉獄。 こちらは身分の低い庶民や下級武士が入れられていたそうです。

 昨日の玉木叔父の旧宅と同様、ここでもご近所のお年寄りの女性がお掃除に出てこられていました。 挨拶をするとまた「どこから来られたの?」と尋ねられて、またしばしの間歓談☆ こうした素朴で生真面目な市民の方々の手が集まって貴重な史跡が維持されているのかと思うと、何だかとっても清々しい気持ちになりました。 

 さて、いよいよ高杉の生まれた家、高杉晋作の旧宅です!

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 さすが上級武士の家なだけあって、端正な門構えです。

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 チケット売り場には、伊勢谷高杉の写真が本物の高杉の写真のかたわらに貼られていました。 こうして見るとなかなか似ていますよね~このふたり♪

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 裏庭には、高杉が誕生したときに産湯に使われたという井戸が。

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 それから、高杉の和歌が刻まれた歌碑もありました。

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西へ行く 人をしたひて 東行く 心の底そ 神や知るらむ 

 脱藩後、出家して頭をまるめて東行と号したとき、自らを西行に重ねて詠んだ歌だそうです。


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 思ったよりこじんまりとした造りと思ったら、昔はこの四倍もの広さがあったそうです。 高杉家個人所有の邸宅なので明治期になってからこれほどの広さは必要はないと、ご子孫が大半を手放してしまわれたと聞きました。 なるほど~高杉家は二百石禄高の上級武士ですからね~、昔はさぞかし立派なお邸だったのでしょう。

 庭に面した縁側沿いに据えられたガラスケースには、高杉ゆかりの品々が展示されていました。

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 レプリカですが、高杉の拳銃もありました☆ 説明に「高杉晋作が坂本龍馬に贈ったというピストルの複製」と書かれていました。 わ~い、ソウルメイトの証を発見♪

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 こちらは奇兵隊が使用した銃弾と銃弾箱。  

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 高杉が旅用に持ち歩いていた茶入れ愛用のグラスもありました☆

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 そして、全然似ていない人相書きまで(笑) 説明には「安政の大獄期の人相書き 手配書」とありました。 それにしても西郷の隣に描かれているなんて・・・高杉にとっては不本意だったのではないでしょうか。 これ見て嫌~な顔をしている高杉の顔が目に浮かびます~笑

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 高杉直筆の手紙も展示されていました。 上は妻の雅子さん宛て。

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 縁側からはよく手入れされた庭園が見えました。 このお庭を見て高杉は多感な少年期を過ごしたのですね。

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 少し奥まったところに鎮守堂が見えました。

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 高杉晋作誕生の地の碑です。

 旧宅を出る前に、チケットの売り子をしていた小母さんと話をしました。 彼女は、高杉が若くして亡くなったことをしきりに可哀想だと連発していたので、私は去年の大河の話をしたり、彼女から旧宅の由来、東行庵の話を聞いたりしました。

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 これも入場券売り場に貼られていた写真です。

 小母さんに聞くと、「ああ、それは松平健ですよ」と教えてくれました。 そう言えば、彼はドラマ『奇兵隊』で高杉役だったんですよね! まだ見たことのないこのドラマ・・・正直マツケンが高杉ってとても抵抗感があったのですが、この勇姿を見ると、ちょっと見てみたいかもという気になりました(笑)


 旧宅を出た後、ご近所の晋作広場に向かいました。 去年作られたばかりの高杉晋作の銅像を見に行くのです。

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 噂の銅像です。 去年の除幕式のときは伊勢谷さんもゲストで来られていて、本当に見に行きたい~!と思っていたんですよね。 でもあの時は体力がなくてあえなく挫折・・・(涙) 伊勢谷さんがいないのは超残念ですが、やっと見られてよかったです♪

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 松下村塾に通い始めた頃の20歳前後の姿をイメージして製作されたそうですが、若き日の高杉晋作というのはちょっと・・・いかつすぎる感じがしますね~笑 でも、堂々とした姿はまさに「英雄」と言う感じがしました☆

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 晋作広場の門を出たところで幕末の志士とばったり出会い、楽しくおしゃべりしました♪ 彼は伊藤俊輔(博文)だそうで、なるほど写真にそっくりですね~笑

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 路地で萩の猫ともばったり♪ この後午後からも猫が沢山登場します。 やっぱり長州は猫の町なのですね(笑)

 その後、高杉を診察したこともあるという藩医の青木周弼の旧宅を訪ね、それからいよいよ、お兄ちゃん・・・もとい木戸孝允の旧宅にたどり着きました。

 高杉の旧宅から2筋先にあって、本当にご近所さんだったんだな~と思いました☆

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 木戸孝允(桂小五郎)の旧宅です。 藩医の和田家の長男として生まれた彼は、8歳のとき隣の桂家に養子にもらわれていったそうです。しかし、すぐに養父母が亡くなり、結局この旧宅で成長したとのことでした。

 こちらは、高杉の旧宅と違って、部屋に上がって自由に見学が出来ました。

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 京都の河原町にある桂小五郎の銅像の小さなレプリカが飾られていました。
 
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 奥さんの松子さんの美しい写真と、息子さんと一緒に写った写真もありました。

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 こちらは奥さんの幾松姐さん時代の華麗なる芸子姿。 さすが桂さんがぞっこんだったというだけあって美人ですね~

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 裕福な藩医の家なだけあって、いくつもの部屋がある広い邸でした。

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 こちらは誕生の間。 明治期の洋装姿と肖像画も飾られていました。

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 この肖像画、ごつすぎないですか~? まあ、桂さんは剣豪だったから、こういうイメージというのもわからないではないのですが、これではどちらかというと薩摩の西郷さんのような・・・と、どうしても美しい谷原小五郎のイメージが頭に染み付いている私にはそう思えてなりませんでした(笑)


 その後、ご近所の菊屋家住宅にも立ち寄りました。

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 こちらは豪商と言われていたお宅で、煙草盆やら、螺鈿のお道具、鉄砲などいろいろ展示してあったのですが、目を引いたのはこの柱時計。

 明治期に伊藤博文が海外視察で渡航したとき、お土産として買ってきた品だそうで、現在でも一週間に一度ねじを巻けばきちんと時を刻むと聞いて、すごい!と思いました。 この時ちょうど12時だったので正午をつげる時計の音色の響きを聞くことが出来ました。

 
 昼過ぎまで散々歩き回ったので、お腹がすいて一休み。 近所の畔亭と言う店でお昼ご飯を食べました。

 網元の家を改造したというこのお店。 通された二階の和室からは日本庭園も眺められて、ゆったりと優雅な気持ちでお食事を楽しむことが出来ました。

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 こちらは晋作好み小萩弁当と素敵な名前が付いたランチ。 ついがっついてご飯を少し食べてしまってお目汚し、すみません~どうもこういう写真を撮るのは慣れなくて・・・^_^;

 新鮮な白身のお刺身、ピリッとアクセントのきいた野菜の辛し和え、珍しい「えそ」という魚(お店の方に教えていただきました)の皮が巻かれた牛蒡巻き、等々・・・そして真ん中には高杉が大好きな出し巻き卵が! どれもとても美味しかったです♪

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 ふと床の間を見ると、松陰先生の生誕の地にあった像の複製が飾られていました。 

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 延々とお付き合いいただきありがとうございました!

 まだまだ続く旅日記・・・次回は萩一日目の午後、萩城跡藩校・明倫館跡などについて書こうと思います。
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萩 一日目 松下村塾 [旅日記]

 先週10月18日から22日まで、去年から念願だった萩、長崎の旅に相方と二人で行ってきました。

旅の目的は、もちろん去年の大河に触発された史跡めぐり☆ 普段はめったに地元を離れないひきこもり人間ですが、今回ばかりは歩いて歩いて歩いて・・・欲張ってあちこち巡り写真も大量に撮ってきました♪

 そんなわけで旅行記を書くのも全くの初めて☆ 慣れなくて見苦しい点も多々あるかと思いますが、よろしければしばしの間お付き合いくださいませ。 


 まず、萩の一日目。

 東京から一日一便という飛行機で萩・石見空港に到着。 連絡バスに乗って約1時間で萩に入りました。

 この日は午後3時からの観光ということで、とにかく松陰先生ゆかりの場所、松蔭神社周辺を回ることにしました。

 市内を走る片方向の巡回バス「松陰先生」(何て素敵な名前☆)に乗る予定だったのがちょうど出てしまった後。 それじゃあと徒歩で現地に向かうことに。

 途中岐路でどちらに行けばいいか迷いましたが、偶然通りかかった10歳前後の地元の親切な男の子に自転車で案内してもらって、何とか無事たどり着くことができました♪ ありがとう、少年よ!

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 松蔭神社の鳥居です。 神社は明治に入ってから松陰先生の実家の杉家の邸に社を設けたのが始まりだったそうです。

 敷地を中ほど進んだところに松下村塾が見えてきました。

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 とにかく小さい!と思いました。 元は、杉家の実家の庭にあった小屋だったということですから小さくて道理なのですが、本当にこじんまりとした外観です。 

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 こちらは講義室。 わずか八畳という狭い部屋に、将来日本を背負って立つ有望な塾生たちがひしめいていたのですね。

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 講義室の正面には、松陰先生の絵姿の掛け軸と座像が飾られていました。

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 後に弟子たちの手で建て増ししたという別室には、主だった塾生の写真が掛けられていました。

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 手前が久坂、その奥に高杉の姿も。 


 秋は日がくれるのが早いので、ひとまず松蔭神社を出て伊藤博文の旧邸と別宅に向かいました。

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 旧宅は、伊藤家に養子に入った博文が14歳から28歳まで過ごした家。 藁葺き屋根、そして内部も質素な造りがいかにも下級武士の住まいと言った感じでした。

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 庭には伊藤博文の銅像が。

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 薄暗い部屋には、伊藤家の家族の写真が掛けられていました。

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 別宅は、伊藤博文の晩年の明治末期、東京に建てられた別邸の和室部分をそのまま移して建てられたものだそうです。

 旧宅とはうって変わって内部は広大でとても豪華な造りでした。

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 檜の一枚板で作られたという広い天井も最高に贅沢☆  

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 廊下をぐるっと巡りながら部屋を覗き込んでいたら、お座敷の床の間に長州ファイブのレリーフが飾られていました。


 そろそろ日が翳ってきたので松陰先生のお墓まで行こうと話していたら、たまたま居合わせた市の観光ガイドさんが「そこまで車で案内しましょうか?」と声を掛けてくださり、ずうずうしくも同乗させていただくことになりました。 もう、さっきの男の子といい、萩には親切な方が多くて感激です!

 お墓までは坂道を車で延々と上っていって5分くらい。 結構急な斜面もあり、もし徒歩で行っていたら日が暮れていたのでとてもラッキーでした♪

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 松陰先生のお墓です。 

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 近くにあった久坂玄瑞のお墓です。

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 高杉のお墓まであったのには驚きました!

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 でも、後で聞いたところによると、本当の遺体が入れられたお墓はやはり高杉の遺言通り下関の吉田にあり、こちらは遺髪と臍の緒のみ納められているということでした。 ただ、こうしてお墓がご近所というのは、高杉にとっては、生涯を通してもっとも尊敬していた先生の近くに一緒にいられるということで彼の魂はとても安らかなのではないかと思いました。


 それから、墓所の近くの松陰先生の生誕の地を訪ねました。

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 生家は既になく、遺されているのは敷石と井戸のみ。 残念ながら、既に日が暮れかけていたので敷石はぼんやりとしか見えませんでしたが、こじんまりとした井戸は確認できました。

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 邸跡の高台から見下ろした夕暮れの萩の町。 こんな美しい風景を目にしながら松蔭先生のたぐいまれな才能が育くまれていったのですね。   


 その後、車で来た道を徒歩で帰る買える途上、松陰先生の叔父で彼をスパルタ教育でしごいたという玉木文之進の旧宅を訪ねました。 ここが本当の松下村塾の始まりだそうです。

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 中に入ると、ご近所の年配の女性が屋敷内を丁寧に掃除しておられました。 「どこから来たんですか?」と尋ねられたので「神奈川からです」と答えて少し歓談したあと、「宿で食べてください」と可愛い柿を二個いただきました。

 そう言えば、道を歩く傍らあちこちで、晴れ渡る青空を背景に色鮮やかな柿がたわわに実っていました。


 その日の最後は、再び松蔭神社に戻って、先ほど見逃していた松陰先生の幽囚の旧宅と呼ばれている実家の杉家の邸を訪ねました。

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 松下村塾ほどではないけれど、やはりこじんまりとした造りでした。

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 この邸内のたった三畳しかない幽囚の間に塾生を集めて講義をしたのが松陰先生の松下村塾の始まりと言われているそうです。


 いただいた柿は、ホテルでは食べずにとっておいて自宅に帰った翌朝に食べました。 

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 渋いかもしれないと言われていましたが、とても甘くて美味しかったです。 まるで旅の温かい思い出を味わうような素朴で懐かしい甘さが口の中にじわ~っと広がりました。


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 延々とここまでお付き合いいただきありがとうございます☆ 

 でも、これでまだほんの一日目なのですよね~ まだまだ続きがあるのです(笑)

 次回は、萩 二日目です。 今度は城下町高杉晋作の旧邸城跡周辺です。 とにかく膨大な写真の量なのでさらに長くなるかと思いますが、お気が向いたらまたお付き合いくださいませ♪
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